住田(2011)「四大…」へのコメント

X氏がY氏に拙稿(http://d.hatena.ne.jp/sumidatomohisa/20110411/1302530802)を紹介してくださったところ、Y氏が丁寧なコメントを書いてくださり、X氏が転送してくださり、さらにX氏のご提案により、こちらのブログに転載させていただくことになりました。本当にありがとうございました。

面白い論文を教えていただいてどうもありがとうございました.
[…]
以下,せっかくですので少し感想を.

まず,頭が下がる力作であるという点と,今回は第一の問題設定に力点がおかれていて,第二の点についてはむしろこういった視点の存在自体を盛り込んだことだけですばらしいというべきだろう点を手放しで認めたうえで,やっぱり僕も[X]さんのおっしゃるように,今後の課題として,第二の点をもう少し掘り下げる必要がある(し,またその価値がある)な,と感じました.

具体的には,法学側の受け入れ方を分析する際に,彼らの「立証責任」についての議論をよくふまえないと,ただ単純に疫学的視点が法廷での因果関係の立証に採用されたことから「疫学から法学への影響」といったのでは,隠れてしまう部分があると思うのです(これは逆方向でも同じかと).

具体的に書き出すと長くなりますのでやめますが,哲学の議論では,「あることの立証が困難だ」という事実に直面した時には,立証責任を投げ合うのがふつうです(例えば立証自体には不十分な場合でも,立証責任を相手側に転化するには十分であるという場合もありえます).
なのにいきなり因果関係概念自体に手を出すなんて変だなぁと,はじめの方を読んでいて感じたのですが,矢口さんの発言(p.61,62)なんかを見てますと,これはやっぱり意識されていて,ただ法律では原則訴訟を起こした側に立証責任があることから,「立証責任を転嫁するのにどれだけの証拠が必要か」という議論の代わりに,立証責任は原則通り原告側にあるとしたままで,因果関係の立証基準自体を緩める方向で対処しよう,という判断のように見えます.で,そのようにゆるい因果概念として,予防をこととする疫学における因果概念がちょうどよいと.

とまぁこれが正しい捉え方かどうかはともかく,少なくとも疫学の「科学」としての地位をもとに導入されたというよりは,ある程度法学側での自律的な判断というか,法学内部の論理がちゃんと通っているのではないかという印象を受けます.これがジャサノフのいう共生成にうまく当てはまるかどうかはわかりませんが,科学からの天下り描像を疑問視する点では共通しているかと思います.
いずれにせよ,この点を考察するには,単に「相互に影響があった」以上の分析が必要な気がします.
また,ジャサノフさんの例は事実認識に関するもののようですから,今回のような判断基準に関する事例を詳しく吟味することも,彼らの研究の「次」へ行くうえで,重要な意義があるように思います.


とまぁ自分には出来そうもないことを長々と書いてしまいましたが f;^ ^),色々と思考の刺激になる,よい論文でした.

どうもありがとうございました m(_ _)m