表現するということ。

ほぼ1週間が終わって、だいぶ受講生のなかでもいろんな反応が見えはじめているころ。
先週金曜日には「科学技術コミュニケーション基礎論」の時間に受講生同士で今後の進め方もふくめて議論ができた。
そしてぼくは参加できなかったけど、土曜の昼にもいろいろ話したみたい。


個人的に、ぼくは一連の授業を通じて、表現することの意味について考えさせられている。
科学技術コミュニケーションはそのこと自体が目的なのか、なにかのための手段なのか。
いろいろ考えていくと、社会だとかだれかのためというよりも、自分の興味が願わくばほかの人と共感できれば、というくらいのほうが、いまのところしっくりいっている。
その自分の興味がまわりの状況からいろいろ決められていくんだろうとは思うけど。


きょうは「地球環境論?」の授業で、
「大きな知識人」から「小さな知識人」への変化について考えた。
「知識人」って言い方自体うさんくさいけど、いまは便宜上。
プチ発信者が時代をつくっていくことにだんだんなっていっている。


そのとき「科学技術」だけである必要はまったくない。
「学問」とか「知」とか、広く広くとって、楽しくやれたらいい。
そんな話を3年生とか博士課程の人とかと話してみた。


いろんな立場で表現していくには器用でなくちゃいけない。


と思いつくままに。