Kapila. 2012. "The Enchantment of Science in India"

Shruti Kapila. 2010. “The Enchantment of Science in India.” Isis 101: 120-132.
シュルティ・カピラ「インドにおける科学の魅惑」

概要
 19世紀なかばのインドは、植民地主義の最盛期において、なぜ、どのような状況で、何のために、(医学 biomedicine は受け入れず)科学を受け入れたのか。既存の帝国科学史は18世紀に固執し、交換と対話の場として科学をとらえてきたが、本論文では科学の力を宗教と合理性の政治の文脈で理解する。インドにおいて科学は魅惑であった一方、宗教は魅惑ではなくなり合理的な知識となった。欧州とは異なり、インドにおいて科学は神の死の宣言でもなければ宗教を通じて霊化されたわけでもない。科学が宗教を変えたのである。これによって、インド科学の「軟着陸」と国家の近代のための科学の活用 usurpation を説明することができる。
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 Kapila は、19世紀半ばのインドにおいて科学が魅惑として受容された理由を検討し、これまでとは異なる科学のグローバル・ヒストリーを描く。これまでの科学のグローバル・ヒストリーは18世紀の探査や旅、遭遇に注目してきた。そこでは、Basalla(1967)の科学の伝播の3段階モデル(搾取、植民地科学、自立)への批判として、1) 遭遇、旅、接触域 contact zone、2) 移動、流通、ネットワーク、交易、3) 権力、統治、支配、科学の道具性への問い、を重視してきた。しかしこうした研究では、知の交流が国家主義帝国主義にどのように関係してきたかが不明瞭のままだった。
 19世紀はそれまでの関係をひっくり返すような帝国主義的政策に魅了された時代とされてきた。しかし、ここでは離陸 departure の時代ととらえたい。1840年代、50年代は科学と帝国とが魅了しあい、その後は人種や進化、経済的物質主義が社会の主要な原則として現れてきた。この時期、科学は合理的なものとして魅惑となったが、医学 biomedicine は帝国主義的なものとして拒否された(精神分析や心理学は受容されたが精神医学は拒絶された)。また、インドでは科学は宗教を否定したのではなく、宗教を合理化するものとして用いられた。
 精神分析や心理学は、宗教と科学をふたたび結びつけた。また、天文学は、合理的な伝統とともに、占星術という「反逆の知 insurgent knowledge」も再興させた。進化論は、宗教的な文脈で吸収された。
 19世紀末までに、インドの近代にとって科学は神を消すことなく魅惑の対象となった。これは、インドが合理的でなく「精神的」だからではなく、宗教が魅惑でなくなった(合理的なものになった)からである。ガンディらは、「非人間」で植民化が体現されている医療には懐疑的だった一方、科学に魅了された。19世紀以降、いまに至るまでインドの人びと、さらに世界の人びとは科学に魅了されている。

http://www.jstor.org/stable/10.1086/652700
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http://d.hatena.ne.jp/hskomaba/20121130/1354243335

An Intellectual History for India

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