Lucier. 2012. “The Origins of Pure and Applied Science in Gilded Age America.”

(「応用」の項目に修正を加えました。11/29 15:00)


Paul Lucier. 2012. “The Origins of Pure and Applied Science in Gilded Age America.” Isis 103: 527-536.
ポール・ルーシャ「鍍金時代のアメリカにおける純粋科学と応用科学の起源」


概要
 「純粋科学」と「応用科学」は米国において特有の歴史をもっている。どちらの言葉も19世紀の初期には用いられていたが、これらが新たな意味を帯び米国の科学者の言説のなかで一般的になるのは19世紀終盤になってからだった。これらがよく使われるようになったことは、科学の堕落と科学知識の商業化の現実的な可能性についての大きな関心を反映している。「純粋」は、金銭的でない動機や市場からの距離を強調したい科学者が好んだものである。「応用」は、特許や利益を研究の見返りの一部として受け入れる科学者による選択である。一般的に、「純粋」と「応用」が頻繁に結合されるようになったことは、鍍金(ときん)時代〔めっき時代、南北戦争終結した1865年から1890年ころ〕における科学と資本主義との分離できない関係を示している。



 1883年8月、米国科学振興協会の年会でヘンリー・ローランド Henry Rowland は「純粋科学の請願」と題する講演を行った。「科学の応用が純粋科学と混同されている。電話や電灯といった有用品でなく、この国で物理の科学を生み出すためになにをすべきかを考えなければならない。科学の応用をもつためには、科学それ自体が必要なのである」。
 ローランドは、応用科学から純粋科学の分離と同時に、純粋と応用の関連性を主張した。これらの言葉の結びつきと距離を理解するために、当時の「純粋科学」と「応用科学」を定義する必要がある。これらの言葉はおおよそ1880年代によく使われるようになった(Fig. 1)。

Pure 純粋
 ローランドは講演のなかで定義していないが、「純粋科学」の意味として推定されるもののなかでもっとも馴染み深いのは、「科学自体のための科学」という意味であった(Silliman 1818; Henry 1850; Gould 1868)。ローランドの「純粋な愛から自然を研究する」という発言は、科学だけへの献身・情熱という古くからの話題を利用したものである。
 19世紀半ばにこの理想をもっとも実現しようとしたのは、ラッツォローニ〔Bacheほか10人〕であり、かれらの努力はスミソニアン協会(1846)、AAAS(1848)、米国科学アカデミー(1863)の設立に結実した。しかしローランドらはこうした組織には純粋でない詐欺師が含まれることになるとして、懐疑的だった。
 科学者は組織の設立だけでなく純粋科学に対する政府からの資金も求めたが、政府はひもつきではない資金を提供してくれない。大学も蚊の群れと化し、教育ばかりで研究ができていない。
 もっとも大きな外からの圧力は金である。トゥウェインらの『鍍金時代』の5年前に、グールドは「ドルで表すことのできるようなわかりやすい目的」のみを重視するような退化した文化を、金ぴか tinsel と呼んだ。「純粋科学」は商業的な背徳に対抗するものだったのである。
 しかし金ぴか時代の流れを変えるのは簡単ではない。ローランドは、収入を増やそうとして商業研究などをする教授は教授職を返上すればよいと主張する。19世紀後半のアメリカ人にとって、金への愛は汚職の根源であり、汚い金にまみれていない人が「純粋」であった。

Applied 応用
 ローランドは「応用科学」を軽蔑していたわけでもないし、非実践的で役に立たない知に耽溺することを称揚したわけでもない。ローランドらは知は有用だと信じており、「純粋科学」と「応用科学」の違いは、結果がすぐに現れるかどうかだった。
 19世紀の科学者は理論から発明が生まれると考えていた(リニアモデル)。しかし、ローランドは、科学と物質的豊かさの密接なつながりを考えていたものの、それらが混同されていることに困惑していた。すでにその時期には、多くの人びとが「応用科学」という新しい概念に賛同するようになっていたのである。
 ローランドは「純粋科学」に「純粋発明」とでもいうものを対峙させた。発明家は金のみを追求する人びとであり、過去の遺産を盗んでいる、と。さかのぼって1850年代にも、ジャクソンは発明家が科学の発見を盗んで特許をとる悪党だと述べていた。
 そうした考えに対して、アンソニーは1887年に、ローランドを含めて一流の科学者がすべての業績を世界に自由に公開しているわけではないと反論した。科学には金銭的な価値もあり、そこまで崇高な動機ではない多くの研究者がいる。いまは発明の時代であり、営利を追求する人々が科学に貢献しているのだと。
 実際、ベルは、特許で大金を得るとともに科学の発展にも寄与した。ベルらによって再開された『サイエンス』では、アメリカの科学の主要な特徴は実用主義にあると謳った(1883)。「応用科学」はベルに体現された。
 さらに応用科学を促進したのは、沿岸調査 Coast Survey など、さまざまな政府機関によるものである。南北戦争前後の政府による科学の違いは、規模、範囲、永続性である。政府機関の研究者がローランドらを非難するのは当然である。
 サーストンは1884年に「応用科学」を科学と技芸が統合したものと定義し、産業と結びつくものだと語った。

Conclusion 結論
 科学史家は「純粋科学」を強調し、技術史家は「技術」を「応用科学」と定義することを拒否してきたが、どちらも「純粋科学」と「応用科学」の19世紀における意味を見失っている。
 両者は鍍金時代の産物である。「純粋科学」の要請は、金と物質主義の腐敗という悲観主義を示している。ローランドらによれば、科学を打ち立てるためには一流の大学をつくり科学者が研究によって評価されるべきである。それによって一般の人びとも「科学の応用」によっていつかは利益を得る。そうであっても「純粋科学」は利害を超えたところにある。一方、「応用科学」は個人が金とその魅惑を制御できるという楽観主義を示している。ベルらは研究は誠実で有用なものになりえると信じた。利害の組み合わせは可能で、促進されるべきである。このように、「純粋科学」と「応用科学」は、資本主義社会における知の探求と利益の追求との関係における本質的な緊張を表している。